葛藤のなかで…(「ニュー・アース」エックハルト・トール)
わたしめっちゃ今悩んでます…。
頭で考えすぎて、最早自分がどうしたいのか・すべきか、混乱してわかりません。
でも、理性ばかりで、感性をおざなりにしていたことに気が付きました。
その中で、今勉強したり見聞きするもので色々と共通点を感じたので、記録しておこうと思います。(書きながら問題解決しようとしています。笑)
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立ち止まった時に読み返す、私の人生バイブル「ニュー・アース」
「本当のわたしとは?」「エゴとの決別」が主にテーマになっている本です。
(※エゴは哲学的には「自我」であり、プライドとか自分勝手の意味ではない)
喜び、悲しみ、苦しみ、悩み、優越感や劣等感という実際の感情だけではなく、
噂話をすること、モノを買うことなどの行為そのものも、エゴという「心の動作」です。
(噂話は優位な姿勢の表れ/ブランド物を持つことでステータスを表そうとするなど…)
私たちは、そのエゴが作り出す幻影に一喜一憂し、それをあたかも「自分自身だ」と思い込んでいます。エゴには常に拡張する欲求があり、それゆえ、人生には悩み苦しみが絶えません。
でも、一歩距離を置いてみて、客観視してみる。
「本当のわたし」は、それではないと気が付けた時、
そういうものはエゴの仕業だと気が付けた時、
私という本質は、何かに条件付け(良い悪いとか、劣る勝るとか)られたものでも、外界の状況によって変わるものではない、と気が付けた時、
じぶんのなかの真ん中に、ホワッと平穏が訪れる。
それが「本当のわたし」
「ニュー・アース」では、これは仏教・キリスト教・ヒンドゥー教にも共通する考え方だとわかりやすく説明しています。どの宗教も観点は同じというのが面白い。
事実ヨーガは、「心の死滅」=本当の私を識別すること、エゴとの決別(self realization)によって訪れる、自由・解脱を目的にしている、というのは現在学んでいる通りだし。
スピリチュアリストの並木良和さんが表現すること(以下)も、全く通じる考え方だなぁ、と腑に落ちます。
心とは映写機であり、私たちはそこに映されたスクリーンの映像を、「自分自身」と思い込んで一喜一憂しているにすぎない。つまり、現実はエゴが作り出している、という識別ができれば、そもそも映写機である心に、見たくもないテープをセットしたりしないし、見たところで嘆き悲しむ必要もない…。だって私の本質は、なーんも変わらない、「喜び」「愛」の魂でしかないもん!!
だから、もしイヤな感情とかが出てきたら、それを物体のイメージにして、ぽーんと投げて、天にお返しすればいいんです。。。
こんな風に、「本当のわたし」という「今に在る」パワーが高まれば
宇宙のチカラが味方してくれて、物事はスムーズに流れてゆく…。
「私とは何か」「いかに生きるのか」は、
ずーっとみんなを悩ませてきたテーマなのだなぁ…と、時代を超える普遍性を思わせます。
それに気が付くって、「感性」だなぁ、と思います。
理性が勝る現在社会。感性を置き去りにしすぎて、悩みが尽きないんじゃないかな…。(現在の私)
でも現代社会では理性が必要なのも事実。感性だけだと本能で生きる動物のようになってしまうもんね…。
「感性」を離さず、双方のバランスをうまくとっていければーーー。
て、ことばでわかってても実践できないから難しい💦
で、結局、いま悩んでる状態はどうしたらいいの!?
悩むことは、理性が働いている=エゴだ!
エゴさんが悩みたい結果、悩む現実が現れている。
エゴさんは私の本質じゃないもんね!って、それを手放せば、悩みは消える(当たり前ww)
私の中には一時の平穏が、確かに現れる。
頭の混乱や、ギューってなってた苦しさからは解放される…
しかーし、現実問題の”選択の義務”はいままだ残っている!!
(宇宙のお導き来て~!)
うーん、感性がまだ十分に働いていないんや…。
「ニュー・アース」に書いてあることたちは、読んでいる自分の状況や背景が違うから、
毎回「ふむふむ!!」って初見のように読めるし納得するのだけど、
自分におとしこむのはなかなか難しいです…。ヨーガ哲学もそう…。
だから、練習しなあかんのですね、そもそも悩まないように、感情の奴隷とならないように…。
自己の統制の他、他人の感情に振り回されぬよう、対人関係の対処にも役立ちます。
周りと比較しなくってイインダヨー!
うん、わかってる!けど、いつだってそんなにすぐポジティブに転換できないから、
これも訓練が必要…。でも気がつくだけでも成長。「気付き」=「目覚め」の始まり。
とにかく、おすすめの本です。笑
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